【緩募】授業公開してくださる教員の方、いらっしゃいませんか。

以前からこのブログを読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、私は学校に勤めています。
もちろん今までにも授業参観をしたことはありますが、息子たちの学校がほとんどで、完全に仕事モードでの授業参観はほとんど皆無だということに気づきました(勤務校では慣習としての研究授業をやっていないのです)。

気がつけば長男は大学生、次男はこの4月から高校3年生。
保護者モードとして「合法的に」同業者の授業を参観する機会がもう間もなくなくなるのだなと。

校種は小中高、それほど問いません。大学でもいいです。
教科も問いません(私自身は数学が専門です)。
さらには、いわゆる「1条校」だけではない、通信制・定時制、さらにはフリースクールも見せていただきたいです。
学校の場合、特別「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)をしていなくても、一斉授業であっても全然構いません。

私の方は原則週5日フルタイムでの勤務があり、行ける日程は限られています。
ただ、3年ほど前から勤務校では「研修出張」として柔軟に対応してくれるようになっているので、私の授業の空き時間とうまくタイミングが合えばチャンスは広がると思います。

かなりの制限があるのは重々承知の上で、今後の自分自身の可能性を広げられたらと思い、この記事を書いています。
教育関係者で興味を持ってくださった方がいらっしゃったら、コメントかtwitter経由でDMをください。
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最近考えていること

久しぶりの更新です。
すべてを文字媒体で表すことが難しいテーマですが、とりあえず書いてみます。

2月から3月にかけて、主に教育に関するセミナーや研修会にいくつか出かけてみました。
いろいろと勉強にはなったのですが、ものすごく引っかかる点がひとつあります。

それは、どの研修会でも「教員と保護者がどう向き合うか」という視点がサッパリないこと。

2020年度から順次施行される新しい学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び」を促すよう大々的に掲げられていますが、そもそも教室の中で子どもたちが互いの意見を聴き合い、対話が成立するためには、子どもたちひとりひとりが「認められている」という安心感が持てることが絶対必要です。
これだけ社会が激変し、様々な家庭の事情を抱えた子どもたちみんながみんな、はじめから「自己肯定感」を十分に持っているとは思えません。
極端に自己肯定感の低い子どもがこのような「主体的・対話的授業」に放り込まれても、周りとのコミュニケーションがうまくいかず一斉授業の時以上に孤立したり、あるいはクラスの雰囲気をぶち壊しにする羽目になったりしないでしょうか。

学級経営にあたって、担任対児童・生徒、または子どもたちどうしの信頼関係を築くという点で教員が相当な配慮をすべきであるということは以前から指摘されているし、そのような議論はかなりなされてきました。
それでもなお、保護者の影が薄いと思うのは私だけでしょうか。

↑でも指摘したような授業を目指すとなると、授業の方法以前に「どのような子どもに育てたいか」という理念が今まで以上に重要になって来ます。そのとき、保護者と学校の考え方があまりにも違っていたら、せっかく良い授業を構成したいと張り切って準備しても効果が半減してしまいます。

特に義務教育課程では保護者と学校との連携は必須だと考えます。
この部分、教員はもっともっと重視すべきではないでしょうか。

・・・と、ブログに書いているだけでは何にもならないので、4月以降、私の知人で教育に関心のある方に声をかけて、このようなことをテーマとしたオフ会(研修というほど大そうなものではなく、ざっくばらんにおしゃべりができる「場」のようなもの)を開きたいと考えるようになりました。

本来教育に関して議論するとなると、例えば
(1) 不登校、または保健室(別室)登校
(2) 発達しょうがいに関するもの
(3) 学習に困難を抱えているもの
といったカテゴリーでクローズアップされがちですが、私としては
A 学校に通えてはいるけれども人間関係がうまく築けず集団に適応できない
B 学校にそれなりに適応できてはいるものの親子関係がうまくいかない
の方が実は問題の根が深いんじゃないかと思うのです。
(1)~(3) の背景として実は A や B が潜んでいるということも少なくないんじゃないかと。
(1)~(3) と A,B はお互いの関連性は深いけれども「軸」が全然違うというイメージを持っています。

なので、もし仮にオフ会が実現するなら↑の A や B に焦点を当てた議論をしたいのです。
そうなると (1) ~ (3) などが付随して話題に上るのは自然の流れだと思うので、それを阻害することはしないつもりです。

何分相当な守秘義務が伴うので、最初は私の知り合いに少しずつ声をかけて始めようかと思います。続けられそうなら徐々に輪を広げていってもいいかも。

この記事を読んで興味を持った方がいらっしゃったら、コメント欄にその旨書いていただくか、twitter経由でDMをください。

終活援助一時中断

新年早々、ちょっと重たい内容でごめんなさい。

こちらの記事で書いた通り、自分の両親をどうサポートするかについて、昨年夏からずっと考えて来ました。
スマホどころか携帯すら使おうとしない両親に対してなかなか打つ手がない中、私と母の共通の知人が「一度、3人でゆっくりお茶でも飲みたいね」と言ってくれました。本当にありがたいことです。
それでも母は「お父さんをひとりにして出かけるなんて心配でできない」の一点張り。
少しは自由な時間というものを持ったらどうだろう、との思いが強くなりました。

こういったことを、実家のある自治体の高齢者支援センターの方に相談したところ、
「お父様は年齢的なこともあるし持病をお持ちなら、介護保険申請すれば認定される可能性が高いですね。『要介護1』であっても認定されれば、1ヶ月に一度高齢者向けの施設で過ごすことができて、その間はお母様の自由な時間が取れますよね。
介護保険は申請から認定までに1ヶ月から1ヶ月半くらいかかるし、認定のために市の職員が家庭訪問した時に普段通りの様子が見られるかどうかも分からない。一度申請しただけでは『介護の必要なし』と判断されることもあるけど、あきらめず何回かに分けて申請すればいいですよ。
もしお父様だけでの申請に抵抗があるのだったら、お母様とセットで申請するのも1つの方法ですよ。お父様だけが『要介護』認定をされてお母様が『介護の必要なし』になっても、それは行政が決めたことでご家族の意向はどこにも入ってないんだから、ご両親も文句は言わないでしょう」
とおっしゃっていただき、娘の私から言うとどうしてもきつくなりがちなので、支援センターの方が母に話してもらうことにしました。

その結果は・・・散々でしたよ。

センターの方は↑のようなことを母に言葉を尽くして話してくださったのですが、母は
「夫(私の父)の状態は夏よりも良くなったので、今は(介護保険申請は)必要ない」の一点張り。
挙句の果てには、「私から連絡はちゃんとするから、そちらから娘には連絡しないでほしい」という余計なリクエストまで出す始末。

あのさ、相手は私たちなんかよりも福祉の「プロ」なんだよ。
娘の私への連絡が必要かどうかはあななたち(両親)ではなく、支援センターの方が決めるべきことでしょ。

最初に書いた「一緒にお茶でも」と言ってくださった知人の方に対しても、もう少し「相手に合わせる」という発想がどうして持てないのだろう。

この一連のやり取りでぐったり疲れてしまった私は、このお正月実家に行くか非常に迷いましたが、今の母に何を言っても結局聞いてもらえなんだろうから行っても意味ないだろうなと思い、今年のお正月は自分のために時間を使うことにしました。

前の記事にも書いた通り、私には弟がいて、今回の顛末をまだ報告できていないものだからメールをしたんだけど、さっぱり返事が来ない。
自分の親のことなんて大して関心ないのかもね。
だったら私も心配するだけ馬鹿馬鹿しいかも。

「終活援助」って結局のところ、それまで何十年もの間の親子関係がすべて影響しちゃうんだろうな、とつくづく感じています。
はっきり言って、私は母とあんまりうまくいっていなかったから。
というよりも、母自身の生育環境がかなり特殊だったから(この部分について詳しいことは割愛しますが)、そもそも結婚して一応「普通の」家庭を持てただけでも奇跡に近いんじゃないかなって感じです。
私だけでなく弟ともそれほどうまくはいってなくて、弟は自分の両親には相当早い時期に見切りをつけてしまっていて、(直接聞いたわけじゃないから想像の域を出ないけど)私よりは相当ドライな見方をしているんじゃないかな。

私たちみたいな子どもは「冷たい」って言われちゃうんでしょうかね。
でも少なくとも私は、自分の親を(尊敬とまではいかなくても)好きになれない自分自身に対しても、かなり罪悪感を持っているんです。
この複雑な心境は、一生ずっとついて回るんだろうな。

そういうわけで、私の「終活援助」は一時中断です。
そのうち必要になったらまた動くことにします。
次男の受験が終わった後が、1つの節目になりそうな気がします。

2017年を振り返って

今月は結構たくさん更新できたよ\(^o^)/

今日で2017年が終わります。
いろいろあった1年でしたが、正直、あんまりいいことなかったなぁ、というのが率直な気持ちです。何だかくたびれ果てちゃったというか。
朝起きて出勤できないかも、と思ったことも何回かありました。

物理的にも、手帳、ドライヤー、掃除機、スマホ(これは寿命寸前って感じだったけど)などなど、壊れたものが多かった。
中でも手帳が一番痛かった。今年は4月からほぼ日手帳オリジナルを使っていたんだけど、スケジュールからタスクリストからありとあらゆることを1冊に書いていたので、壊れて以降すべての記述を移し替えなければならずホント大変でした。
ただ、この「モノが壊れる」という事態については、他の人から「自分の身代わりになってくれたんだから却ってラッキーだよ」と言われて、なるほどそういう考え方もあるな、と非常に納得したんだけど。

こういう「見方を変える」的なことも含めて、いいこともいくつもあったはずなんですよ。
でも、私の性格なのかもしれないけど、楽しかったことはすぐに忘れて、辛かったことだけが記憶に残る。
あと、年齢的にがんばりが効かなくなってきているのかも。

改めて考えてみると、低空飛行ながらほとんど休まず仕事に行けて、リコーダーのレッスンを続けられたし、書道のお稽古を20数年ぶりに再開できたんだから、トータルとしては良かったのかな。

来年に向けて、一応抱負はあります。
実は再来年にものすごくやりたいことがあって、来年はその準備期間とひそかに位置づけています。
次男が受験生になるので、一応気を遣うんだよね。
私もいつまでもくさくさしてないで勉強しなくちゃ。

教育って何だろう、っていうテーマについては相変わらず考えていて、本当にやるべきことを見失わないようにしたいです。

そうそう、実は、思うところあって秋から劇を結構たくさん観てるんですが、その感想をこのブログには全然書いてませんね。
感想を書こうとすると、どうしても自分の勤務校演劇部のことがどうしても連想されてしまって、ブログで自分の素性を晒したくない私は書きづらいんですよね。
でも、観劇と自分の仕事をリンクさせないような書き方は多分あると思うんで、来年はもう少し劇の感想を書きたいです。その方が記録としても残るしね(twitterで連投するのは好きじゃない)。

そんなこんなで、来年もよろしければこのブログにゆるゆるとおつき合いいただけると嬉しいです。

クリスマスの約束2017

このブログでも何回か紹介していますが、ここ数年は正直マンネリの印象が否めず、そろそろやめようかと思いながら今年も録画を見ました。

それが、(失礼ながら)予想に反して、今年は良かった。

3月に亡くなったムッシュかまやつを偲ぶメドレーやら、新たに発掘した若い人とのコラボやら、和田唱との映画音楽メドレーとか、小田さんが「音楽を通じて伝えたいこと」がものすごく分かりやすく表現されていました。

自分の息子が高校の軽音楽部でバンド活動しているせいもあってか、あれだけのクオリティでライブ演奏するためにどれだけ練習したのかも想像できて、「すごいなあ」と感心しました。

今日ニュースで上がってましたが、小田さん、来年5月からツアーを始めるそうですね。
70歳にしてかなりアグレッシブな姿勢なんだなと。

1年に一度、この時期の深夜帯の音楽番組ということで、制作サイドはどういうコンセプトで作るのか毎年相当頭を悩ませていることと思います。
twitterをはじめとするSNSやネットでの評判だって嫌でも(目に)入って来ちゃうでしょうし。
そんな中で、今年の作り方は、「初心」を見失わないよう努力する姿勢がより一層感じられました。

年々制作が大変になっていくでしょうが、後に続く若い方にどのようにバトンをつなぐかも視野に入れつつ、形を変えてでも続けてもらえたらいいかも、と観終わって思いました。
プロフィール

あやこ

Author:あやこ
数学、教育、音楽、演劇などに興味があります。読書も好きです。ここ数年はほぼ日手帳を愛用しています。このブログはtwitterに書くにはちょっと長くなっちゃうような文章をつらつら綴っています。よろしければおつき合いください。





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